体験を生かした道徳の授業
「豊かな体験活動を生かした心に響く道徳の授業」にするためのポイントとその実践例を考えてみることにしましょう。
1 授業で取り上げることのできる「事前の体験活動」
次の4種類に分類することができるでしょう
(1)共通体験
その道徳の時間の前に、教師が、意図的に単元化していた体験活動です。学校行事や児童会活動が中心ですが、他教科の学習活動もあるでしょう。
たとえば、理科でみんなが大豆の発芽実験をしたことも、取り上げ方によっては、立派な「豊かな体験」です。
(2)日常の共通な生活経験
道徳授業の中で取り上げられる「体験」で最も多いのは、これです。子供たちの「日常の生活」で経験される「体験」です。学校での「日常生活」で言えば、「掃除」や「給食」などです。遊びの中での友人関係、係や当番活動でやらなければならい事柄など、全てに道徳的価値が含まれています。
これらは、日常の些細な生活の一部分ですが、どの子も「ほぼ」同じように経験しているということからすると、「共通体験」にも似ています。
(3)個別の独自な体験
日常生活での体験なのだけれど、どの子も同じように体験しているとは言えない「個別で独自な体験」が三つ目です。富士山に登って眼下に広がる雲海を見たという体験を持っている子供、最近、大好きだった祖父を亡くしてとても悲しい思いを持っている子供、ピアノの発表会で立派に演奏ができて満足な思いを持っている子供。どの子供もその子に特別な体験があります。これらも、心に響く授業にするための「体験」です。
(4)空想体験、イメージの世界
さて、これは一般に言う「豊かな体験」とは言わないのだけど、私は、道徳の授業では大切ではないかと思っています。空想体験やイメージの世界を広げる体験は、主に読書やテレビや映画を見る活動の中で体験されることから、(3)に入れてもいいのだけど、(3)のように「直接」でないところが違います。
道徳の授業の中で、読み物資料の人物のおかれている状況や、人物の心情などを想像するときに働く「豊かな体験」は「空想体験」であることもすくなくありません。
2 取り上げ方・生かし方
上記4つの体験活動を道徳の時間で「どのように」取り上げるのか、「どのように」生かすのか、考えてみましょう。(取り上げ方と生かし方に明確な区別はありません。強いて言うなら、授業への体験の登場のさせ方が「取り上げ方」で、取り上げた後の授業での取扱の仕方が「生かし方」とでも言いましょうか・・・)
私は、今まで以下の4つの取り上げ方で授業に生かしてきました。
(1)読み物資料を使った学習の中
取り上げ方は、読み物資料を読んで、主人公の心情を想像したり、主人公の行為の是非を見積もったりする場合に、その根拠として体験活動を出させるという方法です。「私は、〜なことをしたとき、〜なことを感じたのだから、主人公の○○は、きっとこんな気持ちだったと思うよ」などのように子供の体験を取り上げます。国語は、「言葉」から想像を広げますが、道徳の場合は、「自分の体験」をもとに想像する、ということですね。
取り上げた体験は、そのままの場合もありますが、「体験活動を生かして、心に響く道徳の授業をする」というねらいで、道徳の授業を仕組む場合は、捨て置くことはしません。その場合、取り上げた体験どうしの共通点や相違点などを考えさせます。そして、それらの体験のよさや価値、その時に感じたことの意味などを押さえて、再度子供たちに返します。
たとえば、授業で「大好きだったハムスターが死んでしまったときの主人公の○○は、きっと、〜な気持ちだったと思います。だって、私が飼っていた犬の△△が死んでしまったときも、私は、〜と思って、毎日悲しい気持ちだったからです。」という発言があったとします。教師は、このような「体験」(この授業でなくてはならない体験)が出てきたときに、しばらく時間をとって、「そのほかの人で、大切にしていたペットが死んでしまった体験はありませんか?」と他に問いかけて、もっとたくさんの個別の体験を授業に取り上げることにします。少し横道に逸れるようになりますが、読み物資料を使って登場人物の心情を想像することから、自分たちのよく似た体験からその時の心情を思い出すという活動を行うのです。
そして、それらの体験の時に感じた気持ちの共通点や相違点を考えるなどして、「生き物が死んでしまったときの悲しい気持ち」、「命が一つしかなく、取り返しがつかないこと」、そして「命の尊さ」を押さえます。
読み物資料という共通の土俵での「命の大切さ」から、一人一人の体験という個別の状況へと心情を移動させて、一人一人の中に「命の大切さ」を位置づけさせていくというわけですね。
そのほかの取り上げ方、生かし方もあります。最も一般的なのは、導入で「当該価値に関わる体験」を尋ねるという方法ですね。「今まで、大切にしていたペットを死なせてしまったことはありませんか?」という具合です。同時にその時の心情を尋ねる場合もありますね。そして、読み物資料への学習に入るというパターンです。先に個別の体験を持ち出しておいて、共通の土俵へのいうものです。
どちらの場合も、「人ごとから自分事へ」することがねらいですね。
これは、事前に共通体験を仕組んでおいたのなら、一人一人に抜けなく行うことができますね。
(2)事前の共通体験そのものを資料化する。
@自作の読み物資料の題材として取り上げる。
読み物資料の題材に、共通体験の内容を取り上げるやり方です。ただし、人物名や学校名などは変えて、あくまでもフィクションとして描くという場合が@です。子供は、「自分たちの体験とよく似ているなあ」と感じますが、そのままではないことで、安心し意見が出し易くなるという場合があります。
A共通体験そのものを読み物資料とする。
共通体験での子供の日記や活動の様子をそのまま道徳の資料とするパターンです。読み物資料ですが「実話」ということが分かるという取り上げ方です。
B体験の写真やビデオなどの視覚に訴える資料
実話なのですが、細かいところまで描かずに、写真やビデオとして提示するという取り上げ方です。共通体験なのでわざわざ読み物にしなくても、事柄・内容は分かるので、象徴的な部分のみの提示にするわけです。インパクトがあります。
生かし方は、(1)で書いたように、心情を想像したり行為の是非や可否などを判断するためにその根拠として取り上げたり、体験そのものでの自分の感じ方を出し合ったりするために取り上げたりします。そのことで、道徳の授業のねらいを達成します。
(3)疑似体験やロールプレイ
事前の共通体験にしろ、日常の「共通」ないしは「独自な」体験にしろ、それを短時間に「追体験」とするという取り上げ方です。
実際にどう感じるか、理屈でない部分を感じ取らせるために体験活動を生かすという手法ですね。安易な活動となってしまい、反対に心情が深まらないと言う欠点を抱えていますが、やり方によっては、非常に有効な方法だと思われます。
(4)実際の体験活動
道徳の授業の中で、実際に体験活動を行うというパターンがこれです。1では、「事前の体験」として4つを挙げましたが、道徳の授業で取り上げることができるのは、何も「事前の体験」だけではありません。
その授業で、いきなり「○○をしよう」という道徳の授業もあります。事前の体験活動を再度(新たな視点を入れて)行わせるというのも、この「実際の体験活動」に含まれます。
3 実践事例
では、2の取り上げ方・生かし方の実際の事例をご紹介しましょう。
(1)読み物資料を使った学習の中(これは、非常に一般的なので、取り立てて紹介するほどではないのですが、あえて言えばということで)
●
お手伝い
(2)事前の共通体験そのものを資料化する。
@
自作の読み物資料の題材として取り上げる。
● 進んで取り組む
● 老人ホームでの出来事(両者とも:単元「老い・病と向き合う」)
A
共通体験そのものを読み物資料とする。
B体験の写真やビデオなどの視覚に訴える資料
● はたらく
● ひとつのこころ
(3)疑似体験やロールプレイ
(4)実際の体験活動
●
山口のよさって?