「銀のしょく台」で許す心

 

【対 象】 小学校5・6年生

 

【ねらい】 「さあ、お出かけの前に、あなたに差し上げたしょく台をお持ちなさいよ」と言った時の司教の気持ちを話し合うことを通して、自分を犠牲にして人を許す行為のことの難しさ、すばらしさを感じ取り、過ちや失敗をした友達を許そうとする心情を養う。4-()

 

【授業で感じ取り、自ら深めること(≒学習内容)】

(1)自分を犠牲にして人を許す行為のことの難しさ、すばらしさ

    相手の行為をただ許すだけではなく、相手に物やお金を与えてまで許すことは、人としてなかなかできないこと。

    相手がよりよい生き方ができるとすれば、その行為はとてもすばらしいとも考えられること。

    実際に行うことと頭で考えることには大きな差があること。それだけに、その行為は一層すばらしいと感じられること。

 

(2)過ちや失敗をした友達を許そうとする心情

    これまでの生活で、過ちを許されたり、許したりした経験を想起すること。

    その時の自分の気持ちを改めて思い出すこと。

    自分が犠牲になったり、損をしたりして相手を許すことができるかどうか考えてみること。

 

【資 料】『銀のしょく台』 東京書籍他

     いくつかの副読本に掲載されています。それぞれに少しずつ表現が違います。

 

【学習過程】

@    資料を読み感想を隣の人と述べ合う。(15)

    道徳の資料としては長く、外国が舞台であることから、司教、憲兵、フラン等理解しづらい言葉などがあることから、意味を補足しながら、しかも、厳かに読み聞かせる。15分というかなり長い時間をとって作品世界に浸らせることが大切だと思われます。

 

A    「さあ、お出かけの前に、あなたに差し上げたしょく台をお持ちなさいよ」と言った時の司教の気持ちを話し合う (20分)

    資料読みに時間がかかる場合は、前の場面から「登場人物の気持ち」を順に話し合うことは無理です。したがって、家政婦のマグロワールとのやりとりなどは、この発問の答えの中で一括して考えることとします。

    発問1:「「さあ、お出かけの前に、あなたに差し上げたしょく台をお持ちなさいよ」と言った時、司教はどんな事を考えていたと思いますか?

    表現は違うとしても、@燭台を持って行くように言うことで、憲兵に摑まらないようにすることができる(憲兵に摑まらないようにするための方法)。A銀の燭台を持って行って売ることで、これからの生活の足しにできる(金銭的な支援の方法)。Bもうこれ以上盗みをするのではないよ、真っ当な生活をしてほしいという司教の強い願いを伝えた(人として更生してほしいという願いを伝えるための方法)。の3つに分かれます。

    子どもたちの意見をこの3つに集約しながら板書上にまとめます。途中から上記(  )内の小見出しを付けて、意見を発表させる時に、「自分は○○の意見に近くて……の気持ちだと思います。」などと発言させます。

    「○○君の意見は、△△さんの意見ととてもよく似ていますね」や「○○君と△△さんは席は遠いけど、考えはとても近いね」などとクラスの親和感を高めます。

    発問2:3つのどの考えも司教の気持ちの中にはあったと思いますが、3つの内で最も強く考えていたのはどれだと思いますか?

    3つの内、どれか一つに決めることが目的ではなく、一つに決めようと考えたり話し合ったりすることで、それぞれの考えの意味をしっかり捉えることが目的です。したがって、子ども一人一人が結果としてどの一つを選んでも構いませんし、クラス全体がまとまる必要もありません。

    おそらく、Bを選択する子どもが多くなると思いますが……

    発問3:初めてあった見知らぬ男、しかも刑務所から出てきたばかりの男に、自分の財産である銀の食器や燭台を無償で、惜しげもなくあげる司教をどう考えるか?

    @すばらしいと思うが、そこまでする必要はないのではないか。 Aすばらしいと思うが、それでジャンが改心するとは言えないのではないか。Bすばらしいと思うが、そのことはジャンにとっていいこととは言えないのではないか(罪を償わせることの方が大切なのではないか)。Cすばらしいと思うが、何人にもできることではない。Dすばらしいと思うが、自分にはできない。Eすばらしいと思うが、そんなことできる人はこの世の中にいないのではないか。Fどうかんがえていいかわからない。などの意見が出ると思います。

    それぞれを認めながら、司教が自らの犠牲・損を厭わないで、相手の罪を許そうとするそのすばらしさを互いに感じ取る。

 

B    これまでの生活で、過ちを許されたり、許したりした経験やその時の気持ちを思い出し、教師の話を聞く。(10)

    グループで話したり発表したり、プリントに書いたりはしません。ただ思い出すだけです。5分程度静かな時間をもちます。

    最後の5分ほど、教師からの話をします。「いつもではないが、時と場合によっては、人の過ちや罪を許してあげることが大切なときがあること」「人の過ちや罪を許すということは、自分が損をしたり、自分が少し犠牲になったりすることが伴うこと」「些細なことでも友達を許した経験がある人は、司教のしたことと『行動のねうち』としては同じであること」(「些細なことでも友達から許された経験がある人は、ジャンと『行動のねうち』としては同じであること」)。

    人を許すことの意味や価値を少しでも考えることができたらよしとする授業です。決して、司教のような行為を押しつけるような説話にしないことが大切です。

    最終的な学級の雰囲気が「こんなことできないよねぇ」とか「悪いいことをしても許されるんだあ」というようにしたいものです。