「きいろいベンチ」で

みんなでつかうものについて考える

 

板書

 

授業の振り返り

(1) 導入

・ 公共物の具体を出し合う活動では、短時間に多くの具体が出された。

・ みんなで「使う物」として「生き物」が出たのは意外であった。私は「みんなでかわいがっているね」と受け、そのまま流したが、すぐに「除外」と言うべきであった。

・ 「図書室」などの発言には、図書室の「何を」とか「どのように」など、具体を尋ねておくと終末に一層つながった。

・ 導入で行った自己評価では、概ね4,5が多かった。これも理由を尋ねるなどすると終末につながったと思われる。が、要は時間との兼ね合いであると割り切った。

(2) 展開前半

・ はじめの発問、「ベンチの上で、紙飛行機を飛ばしながら、二人の子どもが他にどんなことを言ったのだろうか?」、また、言わないにしても「どんなことを思っていたのかねえ?」の私の問いかけが発問らしくなく、「じわっと」何となく話したので、何を尋ねられているのか分からない子どもがいた。

・ 積極的な子どもをたよりに動作化に移行したが、初対面の指導者に対して、いきなり前に出て動作化をして見せる子どもが数人いたので授業が展開できた。

・ 実際に前で動作化させられたのは、時間の関係もあり、数名だったが、板書中央にあるように多様な意見が出た。日頃の学級経営や子どもたちのよさだと考える。

・ 動作化は、紙飛行機もベンチもなく、単に想像だけでやったのは準備も楽だし、物に引きずられないこともあり、方法としては悪くない。動作化や役割演技の活動場面を資料場面とそっくりに、あるいは、実物のように演出することも悪くないが、効果はあまり変わらないと感じる。

・ 「上靴をぬいで(ベンチに仕立てた椅子の上に)上がろうとした子ども」を終末で取り上げようと思っていながら、最後には忘れてしまった。

・ この活動では、「飛行機とばしが楽しくて、遠くにとばしたいと思ってやっているうちに、ベンチの上に土足で上がってはならないことは日頃は分かってはいるのだけど、ついやってしまった。そんなことはだれにでもあるかもしれないね」を押さえたかったのだが、そうはならなかった。

(3) 展開後半

・ おばあさんの言葉を聞いて、二人の男の子が、「はっとした」心情を想像する活動では、前半とのメリハリをつけるため、また、主発問であることから、「書く活動」にした。5分間であったが、こちらが概ね意図していた内容を書いていた。

・ 結局「使い方が悪かったな」という「改めての気付き」を押さえたにとどまったのだけど、「どんな使い方が悪かったのか」とか、そもそも「女の子の気持ちやおばあちゃんの気持ちと対比」することはできず、「悪かった感(度合い・感覚)」は強く捉えさせられなかった。そのため、ねらいにある「他人への迷惑が想像できる人になることの大切さ」の学習内容の押さえが希薄になった。

・ なお、「そもそもどうすればよかったのか」とか「汚した後どうすべきだったのか(拭くとか、あやまる)」などの「行為に関する話合い」については、当初から深入りするつもりはなかった。

(4) 生活を振り返る場面

・ 導入の自己評価で4,5の子どもが多かったのに、「悪かった経験」を書かせようとしたのは、強引だった。「よい経験」も書かせようと修正したが、後の祭りであった。ここは「授業の感想(思ったこと、考えたこと)」程度に自由に書かせる中で、一人ひとりの子どもの生活の振り返りをねらうのが妥当だったと考える。

・ 発問も悪かったし、時間もなかったことから、結局時間内に書けなかった子どもが半数弱いた。大きな課題が残った。