杉みき子「山へ行く道」で

生きることについて考える

 杉みき子『小さな町の風景』は45編の掌篇小説です。どの一つをとっても、道徳の資料になります。現に、何編かは副読本に取り上げられていますし、このWebでも以前2つ書きました。教師も子どもと一緒に自分を見つめ直すことができます。(それでも、ちっとも自分は変わらないのですけど……)

http://sakamoto.cside.com/sakamoto2006/niji.htm

http://sakamoto.cside.com/sakamoto2006/saka.htm

 

 今回は、はじめから寓話を寓話として捉えて、その意味をそれぞれに解釈し合うという授業にしました。

 

【対 象】中学生なら、何年でも。(小学校高学年でもできるか?)

【ねらい】 「山へ行く道」の話の中で、少年が「山へのぼるのに、なぜくだらなくちゃいけないだろう。」と感じた思いをもとに、「くだることが、のぼくことの中に組み込まれていることの不思議さ」「その意味」について話し合い、生きることの難しさや生き方についての気付きや理解を深めることができるようにする。1-(1)

【学習内容】

(1)少年の「ひどく損をするような気持ち」への共感

        山のぼりの同じような経験

        少年の気持ち・言葉

(2)「くだることがのぼることの中に組み込まれているということの不思議」「その意味」

        たとえ話(寓話)であることの理解

        「くだることがのぼることの中に組み込まれている」具体的な事例・体験

        「くだることがのぼることの中に組み込まれている」ことのよさ(あるいは必然性)

 

【資料】

    「山へ行く道」

『小さな町の風景』(杉みき子:作 所収)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4037204401/250-0201598-6928262

 

        少年は、父親と山へのぼりに行った。少しのぼるとその後、道が突然下り坂になる。

        「山へののぼるのに、なぜくだらなくちゃいけないだろう」「なんだかひどく損をするような気がする」少年。

        「だいじょうぶ。山はね、くだらなければ、のぼれないだよ。」と父。「さあ、行こう」

        「くだることが、のぼることの中に組み込まれているということの不思議さが、少年には、いまだにうまくなっとくできない。」「その意味がかれにほんとうにわかるまでには、まだまだ長い年月がいりそうだった。」(PP.11-13)

 

 

【学習過程】(50授業)

@        資料を聞く。(10分)

        大変短い話であるが、あえて、何も言わず、すぐに、資料を読む。余計な事前の話や板書、絵や本等の提示は逆効果。

        2度ほどゆっくり読む。だれもが十分内容理解ができてから次に進む。

 

A        少年の気持ちについて話し合う。(10分)

        発問1:「『山へ登るのに、なぜくだらなくちゃいけないだろう』『ひどく損をするような気がする』と感じている少年だが、みなさんも、登山で同じようなことを感じたことはなかったか?」

        ここでは、同じ状況、登山についての経験の有無とその時の心情の想起、それによる、少年への共感的な理解を図るのみ。

 

B        「くだることがのぼることの中に組み込まれている意味」について話し合う。(20分)

        発問2「この話は、寓話です。たとえ話ですね。少年は山登りでのくだり坂を嘆いていますが、作者は、人生や生きる上でのくだり坂について考えさせたいと思って書いています。みなさん、作者はくだり坂を何に例えているのだとおもいますか。のぼり坂とは何だと思いますか。『くだることがのぼることの中に組み込まれている』とはどんなことを指しているのですか。例えば、どんなことだと思いますか。」

        NHKのしゃべり場のように、グループになって、自由に話し合うのもいい。すぐには意見が出にくいと思われるので、はじめに、学級全体で幾つか、事例を出してみるのも効果的。

        例えば、『受験勉強』『スポーツ(部活)での練習とその成果』『健康』『大人なら仕事や収入』『友達関係』等の中から、ひとつ選んで、「のぼり坂」と「くだり坂」についてその具体的な状況を出した後、グループに分かれて、どれか、話題を選択して話し合ってみる。

        それでも「組み込まれている」というのが、単に「良いときも悪いときもある」程度のことなのか、必然として「良いときも悪いときもなければならない、とかあるべきである」なのか、など考え始めると中学生でもなかなかおもしろい意見を出すのではないかと思う。「組み込まれている」ということは、「必然」なのである。つまり、「悪いとき、下り坂の時」がなければ、「良いときや上り坂の時」もまた、来ないということ。「悪いとき、下り坂の時」から学ぶことなしには、「良いとき、上り坂」は得られないということか、など、みんなで話し合ってみるのもいい。そして、最後に

C        今を考える、今までを振り返る。(10分)

        発問3:「今、あなたは、上り坂ですか。下り坂ですか?今まで、あなたは、下り坂から何か学びましたか?いや、学ぼうとしましたか?そして、それを今後に生かそうとしましたか? 今後生かせそうですか?自分の考えをプリントにまとめなさい。」