高倉健「沖縄の運動会」で

「充実した生き方」

 物事を自分の目で見、自分の頭で考えることは、「自分なりの充実した生き方」をする上でとても大切です。今回は、「自分のものさし」づくりについて考える授業です。

この読み物は、自然愛護の授業としても使えますし、人間関係や地域社会での生き方などについて考える授業でも使えます。今回は、「望遠鏡」を比喩的にとらえさせて、あえて「充実した生き方」を主題にして授業化しています。

 

【対 象】 中学校(小学校高学年でも可)

【ねらい】 「望遠鏡をおくったことを、少し後悔した」高倉健の思いを話し合うことを通して、自己を見つめ、自己の向上を図るとともに、個性を伸ばして充実した生き方を追求しようとする態度を培う。(1-5)

【学習内容】

(1)自分の生活の中にある「望遠鏡」について考えること

        例えば、テレビ、雑誌、Web、人の噂など。

        例えば、自分の身勝手で独りよがりな思いや論理

(2)「高倉健」の気持ちについて考えること

        自分の目で見、自分の頭で考えることの大切さ

        自立、自律できる人として生きることの大切さ

 

【資料】「南極のペンギン」(高倉健 集英社 2001.2)所収

南極のペンギン

沖縄でのロケの際、石垣島の小さな小中学校合同(地域の人もみんなが参加)の運動会に出会った。運動会の楽しさ、滞在中の夜空の美しさに感動して、この小中学校に望遠鏡をプレゼントした。

再びこの島を訪れたとき、改めて、この小学校の校庭、教室、廊下などの美しさ、人間関係のすばらしさに感動した。それらを「ゆたかだ」と感じた高倉健は、「望遠鏡をおくったことを少し後悔した」と結ぶ。

 

   ■ 参考までに、朗読CDも出ています。

南極のペンギン

 

【学習過程】(50分授業)

@        (すぐに)資料を読み聞かせる。(10分)

        余計な前振りは、逆効果でしょう。すぐに読み聞かせを始めます。資料はゆっくりでも数分です。

        朗読CDがあるので、それを活用するといいでしょう。

        高倉健さんや沖縄の自然の写真や映像などを用いて資料や作者に対する関心を高めることも考えられます。大切なのは、短時間だということです。

 

A        「望遠鏡をおくったことを少し後悔した」の気持ちを話し合う。(30分)

        資料をゆっくり読み聞かせるのに約10分です。その後、

        発問1:「望遠鏡をおくったことを少し後悔した高倉健さんは、どんな考えからだったのでしょうか。」

        (1)自分の目で自然のすばらしさを感じることの方が大切である。(2)今ある自分の周りの環境や自然を大切にしてほしい。(3)「望遠鏡」ではなく、「自分の目」で何事も見ることが大切である、などに分けて板書します。

        (1)(2)は、すぐに出てくるでしょうから、(1)の「自分の目で見る(人工的なものを通して見ない)」という発言をとらえて、「夜空や星以外にも『自分の目』で見ることが必要かも知れませんね」として、(3)の意見を引き出します。「望遠鏡」を比喩的な解釈に変更するところなので、少し誘導的ですが、今回の授業のねらいに迫るためには、この引っ張りは必要です。

        そして、「あなたの生活には、『望遠鏡』的なものはありませんか?」や「あなたにとっての『望遠鏡』は、たとえて言うと何かなあ?」などと“問い返し”て、例えば、「テレビ」「Web」「人のうわさ話」など、自分で正しく見て、自分の頭で判断することの少ない(あるいは妨害する)情報媒体を想起させます。

        また、自分の頭では考えているのだけど、「勝手な思い込み」や「独りよがり」も同様に「真の自分の目」「本当の自分の頭」とは言えないことを共通理解させます。

        話し合いの最後に、子どものそれまでの「印象的な発言」を借りながら(ここが結構大切で、ちゃんと価値付ける子どもの発言を覚えておかなければなりません)「自分の目で見、自分の頭で、客観的に冷静に考え判断することの大切さ」を十分押さえた後、次の発問に続けます。

        この話に出てくる、「豊かな人間関係」についても必要に応じて強調し、そのよさについてかんがえさせることもあってよいでしょう。

 

B        「授業の感想」を書く。(10分)

        発問2:「自分の目で見、自分の頭で考えることの大切さを説くこの読み物で話し合った今日の授業の感想を書きましょう。」

        教師から、『自分のものさしづくり』の大切さについて、最後に話して聴かせるとよいでしょう。

        「道徳授業開き」でも、また「道徳授業おさめ」でも、一層印象的に行えるでしょう。