「その日」で命について考える

【対 象】 中学生

    提示資料の内容に照らして、学級の実態に合っていない場合は、実施を見合わせてください。

【ねらい】 生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重しようとする心情を培う。3-(2)

【学習内容】

(1)生命の尊さについて考える。

        (臨終の場面を想像すること。)

        息子「健哉」の気持ちを想像すること。

        母親「和美」の気持ちを話し合うこと。

(2)自分なりに納得できる生き方について考える。

        (授業の感想を書くこと。)

        今後の生き方について書くこと。

 

【資 料】「その日」 重松 清:作
        (『その日の前』2005.8.10  文藝春秋 所載)

        提示箇所 @ PP.229 L11-223 L15(概要)

     話者「僕」は、明後日、中学三年生になる「健哉」と小学六年生になる「大輔」の父。母「和美」は、半年前に病に倒れ、余命わずかと宣告され、壮絶な治療に立ち向かってきた。

いよいよという頃になったある夜、父は、二人の息子に母がもうダメなことを告げる。「ダイ・・・明日、ママに会おう。ママ、ほんとにがんばったんだよ、早く病気を治して、早く家に帰って、早くダイに会おう思って、ほんとに、痛い注射をたくさんうって、・・・」

        提示箇所 A PP.246 L8-249 L15(概要)

     翌日、病室でひさしぶりに家族四人が揃った。和美の手を、健哉と大輔は二人で握った。そして、最後の時(その日)が来る。

 

【学習過程】(45分授業)

@        提示箇所@、Aを聞き、「健哉」の気持ちを想像する。(20分)

        「今日は、命について考えます」と話し、すぐに資料提示。「自分が息子 健哉だったら、と思って聞いてください。」

        提示@A:家族関係や母の病気のことなどを端的にまとめて板書。物語の概要を知らせた後、資料を読み聞かせる。(10分)

        発問1:「中学校3年生健哉の気持ちを想像してみてください。プリントに書けることがあれば、書いてください。前日父に真実を聞いた場面(@)でもいいですし、病室で母を看取った場面(A)でもいいです。書けなければ、提示資料を読み直したり、頭で病室(臨終)の場面を想像したりするだけでもいいです。」(10分)

        言葉にならないことを学習しているので、プリントに書くことを強く勧めない。特に母親がいない子どもがいたり、実際に家族を病気で亡くしている子どもがいたりする場合は、この資料で指導しないなどの配慮が必要である。

        二、三人で自由に話し合う時間を取ってもよい。「もしも、自分が健哉だったら」と考えると、教師でさえ考え込んでしまう。

        ICUの写真やガンなどでなくなる人の年齢別のデータなどを示すこともよいかも知れない。

 

A        母「和美」の気持ちについて話し合う。(15分)

        提示2:上記引用箇所にある「和美の願い」を下記のとおり板書する。(5分)

        「三月に入って全身の衰弱が進むと、和美は子どもたちが見舞いに来るのを嫌がるようになった。見るかげもなく痩せ衰えてしまった姿を、子どもたちには見せたくない、と言った。わがままだけど、お願い、と泣きながら僕に頼んだのだ。病気の重さも、余命についても、結局二人には話さなかった。これも和美が決めたことだった。ママはきっと病気を治して、元気になって帰ってくる―その希望を二人から奪いたくない、と和美は言った。衰弱して全身をチューブでつながれた姿を見せたくないというのも、子どもたちの記憶には元気だった頃のママだけを残しておきたいから。・・・」(P.230 L8-12)

        発問2:「母和美の気持ちが理解できるか。(自分だったら、やはりそうするか?)」

        和美がこのようなことを夫に願ったのは、@「子どもたちの記憶に、チューブにつながれた姿を残したくない」、A「最後まで希望を失わせたくない」とある。「自分の最期がもうすぐなら、何度も逢いたい、何度も話したいと思うのが普通ではないのか?」と問い、それを、敢えて逢わないという母の気持ちをみんなで想像し合ってみる。

        結局、人が生きていたという証は、人の記憶にこそ残るものだと考えるなら、やはり、よい記憶(印象、姿)を残したいと思うものなのかも知れない。死を目前にした者ならなおさら、また、我が子の記憶に残したいと思う者ならなおさら、「逢いたくない」のかも知れない。

        発問3(代替え「母和美は、臨終の場面で、息子二人に手を取ってもらいながら、どんなことを考えながら、息を引き取っただろうか。(もしも、自分なら、最期に息子に何と言うだろうか?)」

        こちらの発問の方が、考えやすいので、2を行わないで3だけでもいい。が、少し押しつけになりやすいかも知れない。また、この発問の反応は、次の活動の発問Cの内容とかぶる。(やはり、発問2だけにして、3は扱わないか・・・)

 

B        授業の感想を書く。(10分)

        発問4:「今日の授業の感想を書きなさい。今後の生き方について何か考えることがあれば書きなさい。」

        その他の場面で印象的な下り(発言や出来事)について、読み聞かせるのもよいか。(この短編は、3部作である。この学習に用いた「その日」の前後に「その日の前に」と「その日のあとで」がある。「朝の読書」などで、3編を連続して読む機会をもたせたいものである。命の大切さをストレートに感じ取らせる作品集である。

        もしも、教師からの話をすることができるのなら、次のように話すことにしよう。

        「まだ、死んだことのない自分が言うのも何なのだけど(当たり前・・・)、母、「和美」さんの言葉から自分が感じたのは、結局「生きる」ということは、「希望」と「記憶」なのかも知れないということです。和美さんは、子どもたちに最後まで「希望」をもたせようとした、そして、自らも、生きる「希望」をもって生活した。また、子どもたちの中によい「記憶」が残すようにしたいと願った。「その日の前に」では、昔の記憶を辿って、夫婦で電車旅行などもしている。二つの「K」、「希望」をもって生き、あるいは、周りの人に「希望」をもたせる、そして、自らの中に様々な思い出、つまり「記憶」をもち、そして、また、周りの人の中に「記憶」として残る、それらが、「生きる」上で大切なのかもしれない。「生きる」ことそのものなのかも知れない・・・」