東書5年『くずれ落ちただんボール箱』で

「優しい心」の授業

 5・6年生、2−(2)「だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする」をねらいとした授業です。

 

「想像力を働かせて(つまり相手の立場に立って)相手の困っていることに対して、自分の出来ることをすること」が「優しさの基本」と捉えていることにこの資料の特徴があります。

それをこの授業では、「優しさ」=「憂い」+「人(自分)」として、落とします。「優しさとは、その人の憂い(つらさ、苦しさ)に自分から寄り添っていくことである」です。

 

 一つ前の「幸せ」<「倖せ」と同じく、「漢字ネタ」です。

 

【対 象】 小学5・6年生

 

【ねらい】 自分の体験をもとに、主人公「わたし」の気持ちを話し合うことを通して、だれに対しても優しい気持ちをもって接しようとする態度を養う。

    自分の体験を基に、「わたし」の気持ちを様々に想像することが出来る。(ワークシート)

    話し合いを通して得た「優しさ観」から、自分を振り返ることが出来る(ワークシート)

 

【資 料】 「くずれ落ちただんボール箱」

(東京書籍 道徳5年 希望を持って 102ページ)

http://ten.tokyo-shoseki.co.jp/kyozai2005/shochu/19001.htm

 

粗筋

冬休み、友達の友子とショッピングセンターへ買い物に出かけたわたし

 わたしの前を歩いていた5才くらいの男の子が、狭い通路に山のように積んであっただんボール箱に手を触れて崩してしまった。

 気にせずおもちゃ売り場に行こうとする男の子を心配しながら、男の子連れてきていたおばあちゃんが、だんボール箱を片付け始めた。

 男の子が迷子になってはいけないだろうと、おばあちゃんの心中を察したわたしと友子は、代わって後かたづけをする。

 そこへ、店の人がやってきて、わたしたちが崩したのだと勘違いし、腹を立てながら一緒に段ボール箱を片付ける。

 片付けが終わって、店の人が去った後、おばあちゃんと男の子がやってきて、わたしたちに礼を言うも、店の人とのことがあったわたしたちは、「いいえ、いいんです・・・」とだけ答える。

 二週間後、三学期の始業式にショッピングセンターの店の人から来た手紙を読む校長先生。

 「ひとこともわけをきかないでくじょうを申したことのおわびをしたいのと、お二人のあたたかいお気持ちに心打たれたので、お手紙を書きました。ごめんなさいね。そして、ほんとうにありがとうございました。」

 いつもよりかろやかな足取りとなったわたしと友子であった。

 

【学習過程】(45分授業)

 @ 「人に優しくしたことがありますか(15分)

1.       優しくしたと感じている事実、行為を出させる。

2.       (1)相手からの申し出に応えて、やっていること(教科書を見せてと頼まれて見せる、など)、(2)どちらかというとお節介でやっていること(本人には直接関係ないことで、けんかになっている友達のどちらかに味方して、あれこれ攻撃する、など)、(3)相手のことをそれほど心配していないで、自分が好きでやっていること(怪我をした友達を保健室に連れて行く友達に、一緒になってついて行く、など)などに、何となく分けながら板書する。(1)(2)(3)をラベリングするなどは行わない。

3.      「今日は、みなさんが普段やっている『優しい行い』についてもう少し深く考えてみることにしましょう」などの課題提示をする。

4.       @価値への気付き、A価値への興味関心、B課題把握がこの文節の学習内容です。

 

A 「『先ほどはありがとうございました。お言葉にあまえまして・・・』と丁寧にお礼を言うおばあさんに対してわたしはどんなことを考えただろうか。」(20分

1.       お店での出来事が書かれているところ(105ページ9行目)までを教師が読み聞かせる。1度読んだ後、黒板に場面絵や重要な文章を書いた短冊黒板を添付して、粗筋を簡単に確認した後、この発問をします。

2.       一つ一つ前から順に心情を考えることをせずに、終わりを尋ねて、前の方の心情も一緒に捉えるというやり方です。

3.       プリントに書く時間を5分程度とる。

4.       @「いやなきもちだけど、おばあさんにきちんとお礼を言われると、少しは気が晴れたな」、A「相手に対して、よいこと(つまり親切)をしたのだけど、店員さんに自分たちがやったと誤解されて、いやな気持ちだなあ」、B「やはりやらなければよかった」、C「この5才の子どものせいで、損をした。」、D「おばあちゃんや5才の子どもはともかく、店の人に誤解されたままは、いやだなあ」程度の順で、わたしの心情を類別して板書。

5.       誤解されても、人のために親切に出来たことのよさを、「わたし」自身が味わえていないことを確認するとともに、「そう思うわたしをどう思うか」問い返し、人間誰にもある心情であることに気付かせ、私の気持ちに共感的な理解を図る。

6.       「親切にしたことの値打ちは、誤解されたこと、また、多くの人(他の人)にそのことを理解されなかったとしても、変わらないものである。いや、他人に誤解されながらも、人のために優しくできたことは、誤解されず(つまり、人にほめられながらやる)優しさよりも、ずっと値打ちはある」ということを「教師の方から」話して聞かせる。

7.       特に、わたしと友子は、おばあちゃんが「5才の子どもが迷子になるのではないかと心配していること」を「想像して自分から」(つまり、頼まれもしないのに)、優しくしようとしていることがすばらしいと、「教師の方から」話して聞かせる。(もちろん、子どもの方からこのような発言が出れば、それを全体に広げることができればいい。

8.       「優しさ」=「憂い」+「人(自分)」と板書

9.       優しくするとは、人の憂い(苦しさやつらさ)を自分の方から想像し、理解し、その憂いに寄り添うこと、手をさしのべることである、と話す。だから、漢字の優しいは、憂いに人がくっついているんだよ、と。

 

B 「今までの生活の中で、『人の憂い(つらさ、苦しさ)』を『自分から想像して、優しくしたこと』がありましたか?また、逆にされたことはありませんでしたか?」(10分)

1.       まず、導入の板書にもどり、そこに書かれている親切、優しい行いの中で、自分から相手のつらさや苦しさを想像して、自分からやさしくした経験を振り返ります。そのような行動に印を付けたりすると良いでしょう。

2.       さらに、友達との事だけではなく、家族や近所の人、学年が上の人、下の人とのかかわりなどを想起させて、経験をプリントに書かせます。

3.       なかなか思い出せないだろうと思いますので、書くことを必要以上に強調しないようにします。

4.       親切にされた、優しくされたときの経験を思い出す方が、容易かも知れません。「すごく困っていたときに優しくされたことがありますか・・・・?」です。

5.       最後に、再度、「やさしさとは、困っている人のつらさや苦しさを想像して、自分の方から寄り添っていくこと」と確認します。その後、三学期の始業式の場面を読み聞かせながら、「やはり、いいことは、必ず分かってもらえるのですね」として、授業を終えます。