読み物資料との距離

 道徳の時間で提示される「読み物資料が何を提示しているか」については、

http://sakamoto.cside.com/sakamoto2004/siryouteiji.pdf

で述べています。 

 ここでは、読み物資料と読み手の距離、それに合わせた指導のポイントについて考えてみましょう。

 

1 資料の舞台

@     子供の日常生活(家庭・学校等)

最も多いのは、子供の日常生活です。ガラスを割ったとか、宿題を忘れたとか、飼っていた生き

物が死んでしまったとか・・・雑多な生活・経験をある道徳的価値にかかわる出来事に焦点化し

て描かれたものです。

A     先人の偉大な(崇高な)行為

それに対して、例えばガンジーやマザーテレサなど当該道徳的価値を十分達成した人を描いた資

料もあります。実在の人物ではなく、「手品師」のような創作もこちらに入ります。@に対して、

子供たちの実生活との距離がある資料です。

 

2 指導のポイント

@       子供の日常生活が描かれた資料を扱う場合の指導のポイントは3つあります。

(1)   自分のよく似た経験を十分に想起させること

(2)   自分が経験したときに感じたことと資料中の人物が感じたことを関係付けて学ばせること

(3)   資料で学んだよりよい道徳的価値観を今後の自分の身近な生活の中で生かしていこうとする

態度を養えるような「橋渡し」をすること。(時には具体的な行為を想定させることもあっ

てよいか・・・)

A       偉大な行為が描かれた資料を扱う場合の指導のポイントも3つあります。

(1)   時代背景や主人公が描かれた状況・場面などをより具体的に捉えさせること

人物紹介に時間をかけすぎることで、授業の時間配分が偏ってしまうことがありますが、社

会科や朝学の時間での関連指導、視覚に訴えるような資料提示の工夫などでコンパクトに押

さえることが必要でしょう。

(2)   資料中の人物の心情に共感させ、切実感や課題意識などをもたせること

(1)が適切に行われたなら、(2)です。「もしも、自分が主人公だったら・・」などと想像させ

たり、2,3の心情を出さ対立させて考えさせたりして、切実感や課題意識をもたせること

です。

  (3)資料中の人物の行為と比べるのではなく、価値で比べること

     この文章全体での主張点は、ここにあるのですが、とかく崇高で偉大な行為は「到底、自

分にはできない」とか「そんなことしたら、損なのではないか?」などと、子供たちが考える意

味を失ったり、「授業から降りて」しまったりする授業になってしまうことがあります。

その原因は、授業で登場人物の行為だけを扱っているからです。「何をしたか」を窓口に授

業を構成しようとしているからそうなるのです。もちろん、主人公が「何をどのようにし

たか」を授業で扱うのは当然ですが、大切なのは、その行為を実行させた「心根」「道徳的

価値」を捉えさせることです。

また、その道徳的価値が、子供の普段の生活で行っている「行為」の裏側にも「同様にある」

ことに気付かせることです。

「鑑真が自分の命の危険を顧みずに最後まで日本に渡ることをあきらめず、最後にはその目

的を達したこと」は、「希望・勇気・努力」という価値が支えていて、その「努力」は、「あ

なたが、マラソン大会に向けて毎朝、運動場を走っていること、そして、自分では十分とは

思わなかったかも知れないけれど、目標としていたタイムに近い成績を残せたこと」と「同

じ価値がある」、ということに気付かせることなのです。

このことがあって初めて、子供たちは、鑑真を、マザーテレサを、キング牧師を自分に引き

つけて捉え直すことができるわけです。

ここをおろそかにすると、授業が上滑りになって、「いいことをそれらしく言う子供」だけ

が活躍する授業になってしまうのです。

 

どこでも書いているのですが、「わかっているけど、できないことに気付かせる」のではな

く「できているけど、その価値が分かっていなかったことに気付かせる」ことが最も大切な

ポイントだと言うわけです。