「心のノート」を国語で使うための勘どころ 


 ホームページのカウンターの記録は、こまめにとっているのだけど、今日は西日本は台風。その割には多くのアクセスがありました。きっと二学期が近いせいでしょう。
 このカウンターは、同じIPから連続してアクセスがあっても、たった一回として記録されるので、閲覧者実数。分かりやすくていいと思っています。
 アクセスログは、面倒だからあまり見ないのだけど、一回アクセスくださった方は、かなりいろいろなページを閲覧されています。多分、TOPページが、時系列でわかりにくいので、いろいろなページをあれこれ見ざるを得ないのだと思います。内容別のTOPページも別に準備するといいとは思いながら、その時間が・・・


 一月に3つ更新するのが昨年度からのめあてなので、八月のノルマを果たすべく、今回は、標記のような内容です。
 「国語」で「心のノート」を使うという、レアな使用方法の原則について考えてみました。大変短い「言及」であります。ノルマのための記述ってことが、よく分かりますね(笑)


@事柄理解のための資料的な扱い 
国語で使用する「学習材」と内容が関連深い頁を、「学習材」理解の補助として使用する。

A意味理解のための資料的な扱い 
国語で使用する「学習材」の持つ意味や価値(主題や思想)理解の補助として使用する。@とよく似ています。重なる場合も多いでしょう。が、それぞれが区別できることが大切です。

B学習材の人物を自分とかかわりを持って理解するための資料としての扱い
「心のノート」を読んだり書いたりすることによって、自分の体験を「学習材」に登場する人物や出来事に引きつけて、自分事として捉えることができるようにする。Aとよく似ていますが、Aが「材」を外から見るのに対して、Bは内側から見ることになります。

C学習プリントなどの代用
伝え合う力を高めたり、言語感覚を育んだりするのに生かす。Bとよく似ています。

*B、Cについては、『「心のノート」を生かした道徳教育の展開 活用事例集』(文科学省編集H15年7月)の中にあるものと同じ主張です。

*そのほかにも「構え」として次の点が必要だと思います。
  ●あまり無理をして使わない。できる範囲で、「気軽」に使う。
  ●各教師が創意工夫する中で、使用の原則や条件を明確にしていくという感覚で活用する。