葛藤の場面を扱うときの留意点4、5 |
【問題意識】
よくある授業のスタイルとして、「強い迷い」(俗に葛藤などと言いますが・・・)の場面を取り扱うものがあります。どのような点に留意して授業化すればよいのでしょうか? 前回の留意点に続いて、今回は、4つ目、5つ目の留意点を考えてみることにします。
C 状況的な理由について明確にしておく。 |
この表現では、意味がよく伝わらないだろうと思います。
具体的な事例で考えてみることにしましょう。今回、作った資料は、次の二つの行動のどちらを選択しようかと迷います。(@とるべき行動の数と内容は次です)
(1)自分たちがきめたゲームの部品の一部である「模型の魚づくり」を続ける。
(2)突然尋ねてきた「転校していった仲良しの友達」の悩みを聞く。
資料の概略はこうです。
老人ホーム訪問の準備のためゲームを作っているよし子は、前日になってもまだ作成を続けている。間に合いそうにないからだ。そこに、先月転校していった道子が悩みを抱えて訪ねてきた。よし子は、明日の訪問で使うゲームの部品である「模型の魚づくり」を続けるか、それとも道子につきあって悩みを聞いたり遊んだりするか迷う。 お年寄りに対しても、道子に対しても自分自身が、元気・健康の元であると自覚するよし子はどうすべきか? |
それぞれの行動に関わる「道徳的価値」は次のようになります。(A関連している道徳的価値の数と内容は次です)
(1)「魚づくりを続ける」という行動を支える価値
(2)「道子につきあう」という行動を支える価値
さて、この二つの行動とそれを支える道徳的価値を類別対比しながら(前回の主張B)授業を進めます。
しかし、子どもたちの意見は、これらのどこかに納まるとは言えないのです。
授業を仕組む前にそれらを予想しておくことが大切だというのが、今回の主張「状況的な理由について事前に予想しておいて、授業で適宜取り上げる」というものです。
状況的な理由には、たとえば、次のようなものがあります。
(1)に関しては、
(2)に関しては、
です。これらは、それぞれの行動の根拠になる「道徳的価値」の「一般的な大切さ」の「より一層の根拠」となるものとも言えます。
たとえば、「道子はとても差し迫った状況にある」という「状況的な理由」は彼女に対する「友情」を発揮するための重要な根拠になるというものです。一般論としての「信頼・友情」の大切さより具体的です。
「道徳的価値」が「価値」たる所以である一般的な根拠(たとえば、友達には、親切にするべきである)レベルの命題と、具体的な状況としての根拠を、いったん別々に捉えて、その区別を「教師の方」が明確にしておくことで、授業の時の「類別」「対比」が明確で、適切になると言えるのです。
道子の様子が、○○ならば、(1)、△△ならば(2)の行動をとる、のような、「限定付き」「仮定」での行動選択が明確になるということなのです。
このことは、次の留意点を引き出します。
D 自分なりの納得で折り合いを付ける |
最終的には、「自分なりの納得」で自分の心に折り合いを付けて、行動を選択する」ということになるのです。最終的にとれる行動は、次の4つです。
(1)道子を断って、魚づくりを続ける
(2)魚づくりをやめて、道子につきあう。
(3)時間的に半分ずつにする
(4)道子と一緒に魚づくりをする。
(1)と(2)だけではないというところが、実は大切なのです。最初は、(1)か(2)かの二律背反の行動選択にしか目が向かなかったものが、あれこれ話し合っている内に、形式的かもしれないけれども、4つの行動選択に目が向きます。(もちろん、1と2がほとんどかもしれませんけれども・・・)
ジレンマ崩しと言ってもいいかもしれません。実際の生活の場面では、簡単に割り切れる問題ではないのです。
話し合いの後、自分なりの納得で(つまり、しっかりとして道徳的な価値付けをもったものとして)行動選択をすることができるようにします。
また、この選択は、4つの内どれか一つを選ぶということだけには、とどまりません。4つの中から、実現可能性のあるものの順序をつける、ということになる場合もあるでしょう。
大切なのは、自分のとるであろう、いや、とるべきである行動の根拠決定過程を「道徳的な価値付けの過程」として捉えることなのです。
実際の生活は、進路選択のような大きな行動決定から、歯磨きのような日常的な小さな行動決定に至るまで、すべて、道徳的な価値付けの過程だからです。本人が意識しているにしても、意識していないにしても・・・