道徳の授業の勘どころ

どんな聴き方が望ましいか?
       
       

1 体全体で聴き入る


 道徳の学習は座学の性格が強く、「聴くこと」はとても大切な学習活動です。教師の語り聴かす資料、友だちの主張する意見などを生き生きと聴く。その「聴くこと」を除いてしまうと、道徳の学習は学習として成立しません。

 子供が成長すると、どのように聴くようになるのでしょうか?それは、その子が「体全体で聴くようになっていく」ということだと考えます。

 体全体で聴くとは、人の話を聴いているときに、体のいろいろな部分が自然と反応するということです。「能動的に聴く」と言い換えてもよいし、「後の行動に反映される聴き方ができるようになる」とも言えるでしょう。


2 表情豊かに資料に聴き入る

 低学年では、教師が資料の語り聴かせを行います。私も、低学年を担任しているときには、いつも、場面絵やお面を準備して授業に臨みます。もちろん、話の筋はできるだけ覚え、子供の表情を見ながら話を進めます。どの子もとても熱心に聴き入ります。そんな中に、近頃、心の成長が伺える一人の子供がいました。A君です。

 A君は、以前に比べると私の話の最中によくつぶやくようになりました。主人公の行為や心情に対して、うなずいたり、首を傾げたり、思わず身を乗り出したりして何やらつぶやいています。資料に自然に反応して、主人公を応援したり、注意したりしているのです。もちろん、「ぼくもね・・・」と自分の体験をつぶやき始めることもあります。

 でも、この子の聴き方のすばらしいところは、そのつぶやきが後の活動に生きてくるということです。私の授業では、資料中の重要な場面(主人公が十分には道徳的に行動しているとは言えない場面、主人公が葛藤している場面、道徳的価値を実現している場面等)の中から選択して自分の考えを記述するような活動を仕組むことがあります。その活動の中で、A君は、そのつぶやきを連続させて、主人公に共感したり反発したりしながら、また、自分の体験も振り返りながら道徳ノートに記述をしていきます。当然、その後の話し合いにも積極的に参加してくるようになりました。

 教師は、子供の成長を「書く活動」や「話し合う活動」からのみ見取りがちですが、そのもととなるその子の心の成長が「聴くこと」にあることを見逃してはならない、と気づかせてくれたのは、このA君でした。特に低学年の場合、資料に聴き入る態度の変化で見取ることは、比較的容易で、且つ重要なことだと考えます。


3 受容的な態度で、友達の意見に聴き入る

 高学年では、話し合いの場面で子供の心の成長を見取ることが多くなります。Iさんは、話し合いの活動では、あまり発表する方とは言えません。こちらが指名するときに恥ずかしそうに意見を述べるタイプの子供です。でも、友だちの意見の聴き方は、わずかながらですが、確かに変化してきました。それは、次のような変化です。

 まず、相手の意見を受容しようとする態度が現れてきたということです。自分の意見と反対の場合でも、また同じ意見なのだけどその根拠が違う場合でも、相手の方を見ながら聴いたり、ワークシートなどに相手の意見をメモしながら聴いたりします。そして決して相手が不快に感じる態度をとりません。もちろん首を傾げたりして反応しながら聴いてはいるのですが・・・。そのことは、後の発言や記述に現れます。相手の意見に安易に賛同したり、深く考えないで反対したりするようなことはしないのです。相手の意見を尊重するとは、このようなことをさしているのだろうな、と考えさせられました。

 もう一つは、授業後に考えたり行動したりすることがあるということです。友だちの意見について再度考えたことを日記に記述してくるとか、聴いて考えたことを実践するとかです。もちろん、いつもそうだとは言えませんが、少しずつそのようなことが増えてくるということが心の成長を感じさせます
           

 人の意見を聴く態度は、その子の心の有り様を映し出していると考えることができるのでしょう。いろいろなことを積極的に学びたいという傾向性を最もよく表しているのが、ほかでもない「聴く態度」だと考えます。