ゲストティーチャーとのかかわり方 3つの原則

 総合学習や道徳の時間に「ゲストティーチャー」と学ぶことがあります。最近は、ゲストティーチャーとの学習を積極的に取り入れるようになりました。

 ここでは、そのときの原則を考えてみましょう。

(1) ゲストとのかかわりを自分事として捉えることができるようにする (学習過程)

 学習過程を仕組むときの原則が(1)です。
 最も大切な原則は、これです。授業にいらっしゃったゲストと自分のかかわりを自分のこととして捉えることができるようにならないと、単なる「教師の自己満足」に終わります。そのためには、次の点が大切です。

  1. 子供自らが、ゲストを招きたい、一緒に学びたいと思うようにすること(意欲)
  2. 子供自らが、ゲストを捜して、交渉することができるようにすること(学び方)
  3. 授業後の子供とゲストとのかかわりが連続するように繰り返しふれあえるようにすること(単元構成)

 総合学習では、1,2を満足できる単元を仕組むことは比較的簡単です。子供にとって何の必要感もないのに、いきなりゲストを招いて、「ほら、この人の話を聞きなさい。すごいでしょう。勉強になるでしょう」とするのは、子供にもゲストにも失礼です。
 もちろん、いつも子供が求めるように学習を仕組むことができるわけではありません。むしろ、子供が望ましい学習に気付いていないからこそ、教師の方から意図的にゲストに出会わせるという場合もあります。
 その場合も、授業後のゲストとのかかわりが連続するように配慮しなければなりません。少なくとも、授業後、校長室にゲストをお連れするのは、「担任教師」や「校長先生」ではなく、「子供たち自身」でなくてはなりません。そんな些細なこともさせることによって、子供自身が自分事として「ゲストとのかかわり」を捉えられるようになるのです。

などの状態になったら、ゲストとのかかわりが成功したとみてよいでしょう。
 

(2) ゲストのよさを最大限に引き出す〜できる限り任せる (活動場面)

 ゲストとの活動場面での原則が(2)です。
 授業の最後の辺りに、ほんの5分か10分お話をしていただくだけの授業をよく見ます。ほんの5分か10分のために、その方は、半日つぶして都合をつけれおられるのです。いくら学習内容を押さえるためとはいえ、それでは、あまりに教師のご都合です。
 わざわざ教室まで来ていただいているのは、、「ビデオレターや手紙」では十分ではない何かがあるからこそです。
 できれば、45分その方を中心とした授業を仕組むべきです。そして、その方のよさが最大限引き出されるように配慮しなければなりません。そのためには、次の点が大切です。

  1. 事前の打ち合わせを過不足なく行い、ゲストのよさとともに、ゲストがいつ何をどのようにするのかを明確に伝えておくこと
  2. 学習内容的にも時間的にも活動のレベルでも「遊び」や「ゆとり」をもっておくこと

 学習内容を押さえたいという教師の気持ちが強ければ強いほど、ゲストのもつよさが失われてしまって、「ゲストのビデオ化」が進みます。十分教師の意図を伝えたら、後は、ゲストに任せながら、必要な時ゲストのお話や活動に介入して、子供とのかかわりを調整・修正します。
 そのためには、学習内容にも、時間にもゆったりとした授業を仕組まなければなりません。1回のふれあいだけで全てを満足しようなどと思わないことです。学習内容が押さえられなければ、次の時間に教師の方から伝えればいいのです。
 もちろん、「できる限りゲストに任せる」からと言って、「教師も子供の気持ちになって、本当の意味で任せっぱなし」になるというのは、論外です。(そんな無責任な教師はいないと思いますけれど・・・)

(3) 人の手を借りることの重要さの理解、畏れ  そして感謝 (心の有り様)

 教師と子供の内面の原則が(3)です。
 何よりも、ゲストの方にお手伝いいただくということを「畏れる」ことが必要です。「ちょっと困ったから」、「研究授業を少し派手にしたいから」「何となくゲストの入る授業が大切だと言われているから」という理由でゲストをお招きするという態度では「?」です。

 そのほかに、自分の上司やゲストの上司等との連絡調整(報告・連絡・相談)、ゲストの行き帰りの安全、旅費、謝金など明確にしなければならないこともあります。
 教師が、ティーチャーではなく、コーディネーター、またはプロデューサーとしての資質を持たなければならないと言われるのは、これらのことも含めてのことでしょう。